昭和24年、当時の渡辺清一校長の手で、校章の図案がなり、制定された。「丹」の字は学区のシンボル玄岳を、そして菱形の学区を、左右に貫く丹那トンネルとした。世界に誇る技術と長い年月に耐え抜いた根性、それに負けない学習意欲を願ってもおり、「常に玄岳を仰ぎ、心が平和を念願し、真直ぐ正しく伸びていく丹那の子供たち」が本旨と言われている。
函南町出身の日本の書道家の佐野 丹丘(さの たんきゅう)先生の書額です。
昭和24年、当時の渡辺清一校長の手で、校章の図案がなり、制定された。「丹」の字は学区のシンボル玄岳を、そして菱形の学区を、左右に貫く丹那トンネルとした。世界に誇る技術と長い年月に耐え抜いた根性、それに負けない学習意欲を願ってもおり、「常に玄岳を仰ぎ、心が平和を念願し、真直ぐ正しく伸びていく丹那の子供たち」が本旨と言われている。
函南町出身の日本の書道家の佐野 丹丘(さの たんきゅう)先生の書額です。