校訓 【何くそ やりぬくぞ】
「何くそ やりぬくぞ」
丹那の歴史は、丹那小学校の校訓
「何くそ やりぬくぞ」が示すように、自主独立、勤勉にして不屈の精神によって、幾多の困難を乗り越えて築かれたものである。
社会の激しい変化は、ますます加速の度を増してきている。
どのような時代を迎えても困難に打ち克って、
たくましく生きていく意志と力をもつ子に育てたいと考えることは、教育にたずさわる者の等しい願いである。
また、丹那のさらなる発展、繁栄のために地域の人々が丹那小学校の全児童を自分の子どものように感じ、厳しさと優しさをもって大切に育ててくださることを願うものである。
丹那小学校 校章について
昭和24年、当時の渡辺清一校長の手で、校章の図案がなり、制定された。
「丹」の字は学区のシンボル玄岳を、そして菱形の学区を、左右に貫く丹那トンネルとした。
世界に誇る技術と長い年月に耐え抜いた根性、それに負けない学習意欲を願ってもいる。
「常に玄岳を仰ぎ、心が平和を念願し、真直ぐ正しく伸びていく丹那の子供たち」が本旨と言われている。
函南町出身の日本の書道家
佐野 丹丘(さの たんきゅう)先生の書額です。